李白の静夜思を鑑賞し日中の違いを考える

中国の漢詩

李白の五言絶句の傑作と言われている「静夜思」の解説とそれにまつわる話を紹介することとします。

この作品は李白が仕官を求めて、諸国を巡り、湖北省安陸の小寿山にいた頃の31歳の作品と言われています。李白が故郷を離れて10年は経っているでしょう、しかも仕官するのはまだ10年先になることです。

静夜思の紹介、読み、意味を説明します

まずは、詩の紹介と読みを解説します。

静夜思  李白

牀前看月光  牀前月光を看る

疑是地上霜     疑うらくは是れ地上の霜かと

挙頭望山月     頭(こうべ)を挙げて山月を望み

低頭思故郷     頭を低して故郷を思ふ

読んでみれば、字数も少なく簡単なものです。読みを見ていくだけでも意味は取れるでしょうが、それでも詩の意味をたどっていきましょう。

牀(寝台)を前にして、月の光を看る

あたかも地上に降りた霜のように床が照らされている。

頭を挙げて山月を見入り

頭をうなだれて故郷のことを想う。

時は旧暦仲秋の名月の頃でしょう。牀は中国では床に寝ずに少し高まった寝台で寝ますので、そのことを示しています。

大多数はこのような解釈になりますが、牀を外の井戸の周りとする人もいるようです。そうすると地上の霜と見間違えるのは地上を照らす光になります。

霜のように照らされている状況はこの少数意見の方が実感にはなじみますが、大勢は違うようです。

空もくっきりしているでしょうから、しかも月も明るいので、頭を挙げて臨めば景色も良く見えるでしょう。

しかし、もう何年も故郷を離れていて、望郷の念に駆られた自分としては、うなだれて故郷のことを偲んでしまうのではないでしょうか。

まして、中国人の感覚からは月を見れば、離れた人も同じ月を見ているという発想が自然ですからそうなることと思います。

静夜思の詩の構造を見てみましょう

一句が五言で四句構成ですから、五言絶句だろうと容易に推測ができますが、本当のところは丁寧に調べてみないと断定できないのです。そこで、各字の平仄と韻を調べることになるのです。

静夜思  李白

牀前看月光     平平両仄陽

疑是地上霜     平仄仄

挙頭望山月     仄両平仄

低頭思故郷     平平平仄陽

「平」と書いたのは平字。「仄」と書いたのは仄字、「両」は両用と言って平字にも仄字にも読める字。「陽」は陽という種類の韻字を表わしています。

静夜思の韻

一、二、四句目の末字が韻を踏んでいますのでこれは結構なのですが。二、四句目の末字は絶対ですが、一句目も踏んでいるのはおかしいという人もいますが、これはこれで結構なのです。

静夜思の平仄の配列

しかし、この句は二四不同といって二字目と四字目の平仄を違えるという原則を外しています。この詩の配列を考えれば、二句目の四字目は本来は平字でなければいけないのです。

三句目の二字目も本来は仄字でなければいけないのです。日本でこんな風に作ったら直されてしまいますが、さすがに大天才李白ですからルールよりも感性と内容が揃えば良いのでしょう。

次に調べるのが反法と粘法のつながりです。各二字目と四字目が次の句にどのようにつながるかを調べるのです。違う平仄なら反法、同じ平仄なら粘法という具合です。

通常なら反法、粘法、反法というつながりです。粘法、反法、粘法というつながりもありますが少数です。

このように直せば、各句の二字目が平→仄→仄→平となって、反法、粘法、反法でつながる構成になります。四字目も仄→平→平→仄となって、反法、粘法、反法でつながる構成になります。

静夜思の対句

この詩の特徴としてこの五言絶句の最小の形式の中で対句を踏んでいることです。三句目と四句目を対比させて読んでみてください。

挙頭望山月     仄両平仄

低頭思故郷     平平平仄陽

三句目の文法構造が同じになっていますよね。挙げると低くする、これは動詞ですね。頭と頭、これは名詞ですよね。望むと思う、これは動詞ですよね。最後は山月と故郷です。

文法構造ばかりでなく動詞の関係、挙げると低くする、望むと思うが対比をなしていますし。山月と故郷も意味上の対比をなしています。こんなところも気がつけば興味も増すことでしょう。

李白の静夜思は日本と中国ではテキストが違うのです

この詩は日本でも中国でもとても有名ですし、日本でも中学か高校の教科書、中国では小学校の教科書でも取り上げられているそうです。

それではということで、日中親善とかいう気持ちをおこして、これを中国語で紹介すると変なことになるのです。簡単に言えば、「違う」とブーイングが出る可能性があるのです。

実は中国の教科書では次のようになっています。

牀前明月光

疑是地上霜

挙頭望明月

低頭思故郷

中国の教科書では、一句目と三句目が看月光から明月光、望山月から望明月になっているのです。

この原因は、日本の教科書が江戸時代に日本で爆発的に流行した明の時代の「唐詩選」から取っているのに対して、中国では清の時代に作られた「唐詩三百首」をテキストにしているからだそうです。

何しろ1300年前の唐の時代に作られた詩です。その後の写し違いが出てくるのです。どちらが正しいという神学論争はしても仕方がないのですが、こんなこともあるということでご注意ください。

李白の静夜思を鑑賞し日中の違いを考えるのまとめ

李白の有名な静夜思を紹介いたしました。五言絶句の傑作ですが、秋の夜中にしみじみ味わうのも良いかと思います。こんなところの感性は日本も中国も同じにしているところが救いです。

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