白居易の有名な七言律詩の「香炉峰下新卜山居」を取り上げます。この詩は白居易が40代のころ江州司馬に左遷されたころの作品と言われています。江州は今の廬山のあるところで、風光明媚な場所ですが、そのころは左遷の身ですからつらかったことと思います。この詩は、日本では平安時代の清少納言の枕草子でも取り上げられており、日本では有名なシーンとして紹介されることが多いかと思います。大河ドラマ「光る君へ」でも紹介されることでしょう。
白居易の「香炉峰下新卜山居」の原文と読み方
香 炉 峰 下 新 卜 山 居 草 堂 初 成 偶 題 東 壁 白居易
日 高 睡 足 猶 慵 起
小 閣 重 衾 不 怕 寒
遺 愛 寺 鐘 欹 枕 聴
香 炉 峰 雪 撥 簾 看
匡 廬 便 是 逃 名 地
司 馬 仍 為 送 老 官
心 泰 身 寧 是 帰 処
故 郷 何 独 在 長 安
読み方はこんな風になります。まずは題です。
香炉峰下、新たに山居を卜(ぼく)し、草堂初めて成り、偶(たまたま)東壁に題す。白居易。
日 高く 睡(ねむり) 足りて 猶(なお)起くるに慵(ものう)し
小 閣(しょうかく)に 衾 (しとね)を重ねて寒 さを怕(おそ)れず
遺 愛 寺(いあいじ)の 鐘は 枕を欹(そばだ)てて 聴き
香 炉 峰(こうろほう)の 雪は 簾(すだれ)を撥(かか)げて 看る
匡廬(きょうろ)は便(すなわ)ち是(これ)名を逃(のが)るるの地
司 馬(しば)は 仍(なお) 老 (ろう)を送る官(かん)たり
心泰(やす)く身寧(やす)きは是れ帰する処(ところ)
故郷何ぞ独(ひと)り長安に在るのみならんや
白居易の「香炉峰下新卜山居」の意味
香炉峰のふもと、新しく山の中に住居を構えるのにどこがよいか占い、草庵が完成したので、思いつくままに東の壁に題した
日は高くのぼり十分に眠ったはずなのに、それでもやっぱり起きるのがおっくうだ
二階建ての小さな家で布団を重ねているので、寒さは心配ない。
遺愛寺の鐘は枕から少し頭を持ち上げて注意して聴き
香炉峰に降る雪は、すだれをはね上げて見るのである。
廬山は俗世間の名誉などから離れるにはよい地である
長官を補佐する司馬という官職は、やはり老後を送るのにふさわしい官職である
心が落ち着き、体も安らかでいられる所こそ、安住の地であろう
故郷というものは、どうして長安だけにあろうか、いや長安だけではない
白居易の「香炉峰下新卜山居」の形式と鑑賞
日 高 睡 足 猶 慵 起
小 閣 重 衾 不 怕 寒
遺 愛 寺 鐘 欹 枕 聴
香 炉 峰 雪 撥 簾 看
匡 廬 便 是 逃 名 地
司 馬 仍 為 送 老 官
心 泰 身 寧 是 帰 処
故 郷 何 独 在 長 安
この詩は典型的な七言律詩です。それぞれ二句、四句、六句、八句の句末の寒、看、官、安が韻を踏んでいます。
律詩は三句、四句の頷聯、五句、六句の頸聯がそれぞれ対句を形成するのが決まりとなっています。
具体的に示せば、遺愛寺と香炉蜂、鐘と雪、欹枕と撥簾、聴と看が対になっています。注意しなければならないのはこれは古代の中国語ですから欹枕と撥簾は動詞と目的語の語順が日本語と違っています。五句、六句の頸聯についてもわかりやすいかとおもいますが、便 是と仍 為は副詞と動詞の組み合わせですから、書き下しの日本語で考えるとわかりにくいかと思います。
また、三句、四句の頷聯は聴覚と視覚の対比、五句、六句の頸聯は土地と職責の対比をなしていることにも注目を払うべきでしょう。
心 泰 身 寧 是 帰 処 故 郷 何 独 在 長 安 は左遷された白居易の達観をあらわしています。この当時は長安のみが栄達の土地ですが、それはそれとして現在の立場にある一定の境地に達したことでしょう。
冒頭の「日 高 睡 足 猶 慵 起」は官僚は早朝から務めるのが普通ですから、日が高くまで寝ているというのは閑職であることを示しているのです。
「香炉峰下新卜山居」の作者白居易とは
白居易(772年 – 846年)は唐代の著名な詩人で、唐詩三百首にも多く選ばれています。彼は官職にも就いたが、その詩作で最も知られています。白居易の詩は、その平易な言葉遣いと情感豊かな内容で人々に親しまれ、詩集には「長恨歌」などの名作が含まれます。また、彼は文学の普及にも努め、詩を通じて社会的な問題にも言及しました。晩年は洛陽に隠退し、詩作を続けました。
白居易は左遷される前、長安で官僚として活躍しており、その時の彼の立場は監察御史でした。この職は若い官僚にとっては出世のチャンスを提供するものであり、彼は才能を認められてこの地位に就いていました。
しかし、彼が38歳の時、彼の直言がしばしば政治的な敵を作り、最終的に彼は不快感を抱いた上層部によって江州司馬に左遷されることとなりました。この当時司馬は長官である刺史を補佐する立場ですが、実際は左遷された者が付く役職でした。
江州での生活は彼にとって困難なものでしたが、この経験は彼の詩作に大きな影響を与え、後の作品に生き生きとした自然描写や深い人生観をもたらしました。
清少納言の「枕草子」に出てくる白居易の「香炉峰下新卜山居」
中国ではそれほど有名ではないのですが、この詩は日本ではかなり有名になっています。これは枕草子にこの詩に関する記述があるからです。ほとんどすべての古文の教科書に記載されているので読まれた方も多いでしょう。
原文はこんなものです。『雪のいと高う降りたるを』
雪のいと高う降りたるを例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などして集まりさぶらうに、「少納言よ。香炉峰の雪いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。人々も「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ。なほ、この官の人にはさべきなめり。」と言ふ。
内容は、雪がたいそう降っていたときに、中宮定子が清少納言に「香炉峰の雪はどうかしら。」尋ねたら、清少納言は御簾を高く上げて見せたという内容です。中宮定子も清少納言もこの白居易の詩を知っていたのでできることです。
だけどそのあとが何となく鼻につく人もいるでしょう。周りの人はこの詩は知っていたり、歌にも詠む人があるけれど、とっさに行動に出るのは素晴らしいといったとして、自己を讃嘆していたりします。こんなところが清少納言の性格をあらわしているのかもしれません。