初唐の詩人劉希夷(りゅうきい)の代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁に代わる)を紹介します。
作者は知らなくても、詩の題は知られなくても、名句「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同(年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず)」はどこかで聞いたことがあるでしょう。
この詩はこの句だけで有名になったと言われている詩ですね。
劉希夷の「代悲白頭翁」の名句「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」の解説
7世紀後半に活躍した劉希夷(りゅうきい)の代表作である代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁に代わる)にある対句です。
年年歳歳花相似 歳歳年年人不同
読み方は、「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず。」というもので、内容も、「年ごとに花は同じような形で咲いていくが、それを見る人は年ごとに移り変わっていく。」という、平易な内容です。
中国ですから、これは桜の花ではなく桃の花のような気がしますが、日本の桜の季節にこの句を味わうとぴったりの感じがします。人が移り行くのがなんとなく無常観を感じてしまいます。
年年歳歳 花相似 平平仄仄 平平仄
歳歳年年 人不同 仄仄平平 平平平(東)
綺麗な対句になっていますので、平仄を見てみます。「花相似たり」と「人同じからず」は文法的にも揃っていますね。2字目、4字目、6字目がそれぞれ平字と仄字を違えていますので、反法も成立しています。
この句を巡ってはこんな逸話もあります。劉希夷は同じく有名な之問の娘婿になります。この詩が出来上がった時に義父の宋之問にこの詩を見せたところ、この出来栄えがあまりにも良いため、詩を譲ってくれるように頼んだと言われています。これを劉希夷は拒んだため、宋之問の使いのものに殺されたとも言われているのです。
また、もう一つの逸話としては、劉希夷が「今年花落顏色改 明年花開復誰在 (今年花落ちて顔色改まり 明年花開いてまた誰かある)」を得たとき何やら不吉な予感がしたそうです。さらに、「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」の句を得て更に不吉な予感を持ったが、そのまま詩の中に取り込んだところ、1年もしない間に殺されたというものです。
おはようございます
今朝の大津通の花
ソメイヨシノ年年歳歳花相似
歳歳年年人不同また季節が巡りますね#大津通の花#桜#ソメイヨシノ#TLを花でいっぱいにしよう#TLを桜でいっぱいにしよう pic.twitter.com/GHAw9vYwsd
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劉希夷の「代悲白頭翁」の内容は
この詩の全体像は、次に示すようなものです。全体で7言で26句もある詩です。全体が4つに分かれていますので、それぞれの内容を紹介します。
劉希夷の「代悲白頭翁」の第1段(1句~4句)
代悲白頭翁 劉希夷
洛陽城東桃李花
飛來飛去落誰家
洛陽女兒惜顏色
行逢落花長歎息
白頭を(はくとう)を悲しむ翁に代わる 劉希夷
洛陽城東桃李の花
飛び来たり飛び去って誰が家にか落つ。
洛陽の女兒顔色(がんしょく)を惜しみ
行くゆく落花に逢いて長嘆息す。
場所は洛陽で春の季節です。乙女が自分の容貌を愛おしんで、落花にあってはため息をついています。冒頭の設定ですが、この乙女に話しかける形式で話が進んでいきます。
劉希夷の「代悲白頭翁」の第2段(5句~14句)
今年花落顏色改
明年花開復誰在
已見松柏摧爲薪
更聞桑田變成海
古人無復洛城東
今人還對落花風
年年歳歳花相似
歳歳年年人不同
寄言全盛紅顏子
應憐半死白頭翁
今年花落ちて顔色改まり
明年花開いてまた誰か在る
すでにに見る松柏のくだかれて薪となるを
さらに聞く桑田の変じて海と成るを
古人また洛城の東に無く
今人またた対す落花の風
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
言を寄す全盛の紅顔子
応に憐れむべし半死の白頭翁
ここでは余の移り変わりを述べています。花が落ちては容貌が衰え、来年には誰が健在でいるのか。墓の松柏の木が切り倒せれて薪になったり、桑畑が一変して海になってしまったりするように。
昔の人はこの洛陽の東にはもういないけど、今の人が風に向かって立っている。花は同じでも人は同じではない。一言申し上げたい今を盛りのお嬢さん。どうかこの半死の白髪頭の翁を憐れんでほしい。
このように今度は白髪頭の翁の話に移っていくのです。
劉希夷の「代悲白頭翁」の第3段(15句~22句)
此翁白頭眞可憐
伊昔紅顏美少年
公子王孫芳樹下
清歌妙舞落花前
光祿池臺開錦繍
將軍樓閣畫神仙
一朝臥病無人識
三春行樂在誰邊
この翁白頭まさに憐れむべし
これ昔紅顔の美少年
公子王孫(こうしおうそん)芳樹《ほうじゅ》の下
清歌妙舞《せいかみょうぶ》す 落花の前
光禄(こうろく)の池台(ちだい)錦繍(きんしゅう)を開き
将軍の楼閣(ろうかく)神仙(しんせん)を画く
一朝 病に臥して相識(そうしき)無く
三春の行楽 誰がほとりにか在る
こんな白髪頭の翁も昔は紅顔の美少年だった。貴族の子弟と芳しい樹の下で、歌い踊ってすごし、光禄大夫の高台で宴会に加わり、大将軍の豪邸には神仙の絵が飾ってあった。しかし、一旦病に伏すと知人とも疎遠になり、春の3ヵ月の行楽もどこへ行ったやら。昔は意気盛んであったが一旦つまずくとこんなものですね。
劉希夷の「代悲白頭翁」の第4段(23句~26句)
宛轉蛾眉能幾時
須臾鶴髮亂如絲
但看古來歌舞地
惟有黄昏鳥雀悲
宛転(えんてん)蛾眉(がび)よく幾時ぞ
須臾(しゅゆ)にして鶴髪(かくはつ)乱れて糸の如し
ただ看る古来歌舞の地
ただ黄昏(こうこん)鳥雀の悲しむあるのみ
綺麗な眉毛もいつまで持ちこたえることやら。たちまちにして白髪となって糸のようになってしまう。昔の歌舞の地も鳥雀が悲しげにさえずるのみとなっているではないか。再び最初の乙女に問いかけているのです。
劉希夷の「代悲白頭翁」で名句「年年歳歳花相似」を楽しむのまとめ
劉希夷の名句「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」に焦点をあてて、「代悲白頭翁」の解説をしてみました。この詩の中には「今年花落顏色改 明年花開復誰在」も重要な役割を果たしていました。
花の季節の有名なこの句も詩としてとらえてみれば、移り行く人生を表現した作品であることがわかるでしょう。しかも、この手の作品のように暗くならずに、美しさ、華やかさを表現した詩であることもわかります。