柳宗元の漢詩「江雪」の鑑賞と五言絶句の様式

中国の漢詩

中唐の詩人柳宗元りゅうそうげんによる五言絶句の名作「江雪」を鑑賞してみましょう。この詩は、山水詩の傑作として知られていますが、内容は極めて簡素です。

しかしながら、その鑑賞にあたっては、詩の文面だけではなく彼のおかれた状況も踏まえて味わう必要がある詩です。ゆっくり鑑賞してみましょう。

柳宗元の「江雪」の読み方と内容は

江雪  柳宗元

千 山 鳥 飛 絶

万 径 人 蹤 滅

孤 舟 蓑 笠 翁

独 釣 寒 江 雪

「江雪」の読み方は

千山(せんざん)鳥飛(ちょうひ)絶え

万径(ばんけい)人蹤(じんしょう)滅す。

孤舟、蓑笠(さりゅう)の翁

独り釣る寒江の雪。

「江雪」の意味は

多くの山から鳥が飛ぶ姿がきえてしまい

多くの径から人の足跡もなくなってしまった。

ぽつんと浮かぶ小舟の上で、蓑笠をかぶった老人が

独りで釣りをしている上から、寒い川に雪が降り続く。

よく掛け軸に見られる風景ですよね。皆様もどこかでご覧になったことがあるでしょう。雪がひたすら降り続く中で、小舟に乗った老人が釣りをしている風景です。

釣りをする人は仙人の象徴とも考えられますから、人里離れた寒村の川で仙人が釣りをしている風景を描写したとも考えられるでしょう。

しかし、もう少し、この詩の意味を追求していく必要があります。この詩は、柳宗元が永州、今の湖南省に左遷されていた時の作品なのです。ちょうど30代の半ばから後半の頃でしょう。

今でこそ温かく風光明媚な良い地域だと考えるかもしれませんが、当時の中心地は長安、ですから、この地域ははるかに南の未開の地域と考えられていました。しかも温度、湿度が高いので風土病にもかかりやすい地域だったのです。

そんな地域ですから雪が降ることも少ないでしょうけれど、独りで釣りをしている老人を自分に見立てて、雪が降る中、これは逆境の象徴です。

ひたすら長安からの赦免の連絡を待つ孤独な姿を描いているのです。したがって、最初に解説した仙人とは程遠い状況なのです。

柳宗元の漢詩「江雪」の形式について

これは容易に五言絶句と考えられますが、一応は様式を調べていきましょう。

江雪  柳宗元

千 山 鳥 絶  平平屑

万 径 人 蹤 滅  仄平屑

孤 舟 蓑 笠 翁  平

独 釣 寒 江 雪  仄平屑

平仄と韻を調べてみました。「平」と書いてあるのは平字「仄」と書いてあるのは仄字です。起句、承句、結句の末字「屑」は入声という仄字の韻です。普通は韻は平字を使うことが多いのですが、珍しい形式です。韻字については要件を満たしています。

「江雪」の平仄の決まりは

ところが平仄を見ていくとおかしなことに気がつきます。二四不同と言って各句の二字目と四字目は平仄を変えることが原則なのですが、起句についてはこの原則を外しています。

あとの承句、転句、結句はこの原則に則っています。

また、二字目を起句、承句、転句、結句と見ていくと、平→仄→平→仄となっていて、反法、反法、反法となっています。四字目についても平→平→仄→平となっていて、粘法、反法、粘法というつながりです。

このつながりも変です。通常は反法、粘法、反法というつながりか、粘法、反法、粘法というつながりのはずです。大詩人の柳宗元なら許されるのでしょうが、我々だったら、直しなさいということになります。

こんなように名詩と言われているものでも、しばしば平仄の原則を外したものがみられます。もっとも詩は感性を大切にするものでしょうから、ネイティブの感性が合っていれば、これで良いのでしょう。

ところで、ここで質問です。最低限、どの字を直せば良いかわかりますか。しばらく考えてみてください。

「江雪」の対句は

この詩は起句と承句が対句をなしています。律詩は対句の導入が絶対ですが、絶句はそこまで求められていません。しかし、この詩においてはきれいな対句がはいっています。

千山と万径、鳥飛と人蹤、絶えと滅すです。文法的にも立派な対句ですね。

「江雪」の作者の柳宗元とはどんな人でしょう

柳宗元は773年にうまれて819年に亡くなった中唐の詩人です。王維や孟浩然とともに自然派の詩人として知られているほか、韓愈とともに古文復古運動を実践した人として知られています。

長安育ちの下級役人の子として育ち、僅か19歳で進士に及第した俊英でした。若手官僚グループの一員として改革運動に参加しますが、頼みとする皇太子の退位とともに運動は挫折します。

33歳で永州(現在の湖南省永州市)に左遷されてしまいます。都会育ちの鷹揚さからか、同時期に流された韓愈のような猛烈な運動をしなかったせいか、中央に復帰することはできませんでした。

やっと10年後に長安に呼び出されたと思ったら、すぐに、もっと先の柳州(現在の広西チワン族自治区柳州市)に左遷され、その地で亡くなることになります。

しかし文芸の面ではこれらの左遷時期になされたもので、このことにより後世に名を残しています。

柳宗元の漢詩「江雪」の鑑賞と五言絶句の様式のまとめ

自然派として名を残した柳宗元の「江雪」の解説をしてきました。柳宗元は社会的には不幸でしたが、その不幸の中で、その不幸を乗り越えて文芸の世界で名を残すことになったのです。

また、友人たちとも交友が残っております。柳宗元の2度目の左遷にあたって逸話が残っています。

この時友人の劉禹錫がさらに遠い播州(現在の貴州省遵義市)に左遷されることが申し渡されたため、劉禹錫には老母がいることを気の毒に思い、自分の任地と交換するよう申し入れをしたと言われています。

このため、劉禹錫は少し近い連州(現在の広東省清遠市)に任地替えされたとのことです。

さて、最後に「江雪」の平仄の問題点をあげてきましたが、この問題はどうすればよいのでしょうか。私は起句の「飛」を「影」又は「景」に置き換えたらと考えています。

こうすれば仄字になりますので、少なくとも二四不同は解消されることになります。反法、粘法を今のルールに直そうとすると大変なことになりますので、この程度の提案にとどめておきます。

泉下の柳宗元からも、諸先輩からも叱られそうですが。

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