唐の初めのころ、唐の対外拡張政策によって領土が拡大されていきます。それに伴い辺境に駆り出される兵士も増えてきます。その様子を描いたものが辺塞詩と言われているジャンルです。
王昌齢の従軍行其の一
王昌齢の「従軍行」はその中でも有名なものです。本来7首ありますが、その中から3首取り上げます。
王昌齢の従軍行其の一の本文と読み方
烽火城西百尺樓 烽火城(ほうかじょう)西(せい) 百尺(ひゃくせき)の楼
黄昏独上海風秋 黄昏(こうこん)独り上る 海風の秋
更吹羌笛關山月 更に羌笛(きょうてき)を吹ふく 関山月(かんざんげつ)
無那金閨萬里愁 いかんともするなし 金閨(きんけい)万里の愁(うれい)
王昌齢の従軍行其の一の解説
読みだけでも詩の意味は分かるでしょうが、一応意味を取っておきます。
のろしを上げるための烽火城の西に高くそびえる百尺(30メートルぐらい)の見張り場、
たそがれに一人で上ると はるか青海から秋の海風が吹いてくる。
その上に、誰かが羌笛という異笛で「関山月」という曲を吹いている、
我が妻の美しい寝屋である金閨は万里も隔てていることへの悲しみはいかんともしがたい。
辺境で独り見張りをしている兵士の町に残した妻への思いを残した詩ですね。このなかで海風は我々日本人からすると温かいイメージがありますが、場所は中国奥地の青海湖ですから、とても寒々とした印象だと思います。
一通り平仄と様式も調べておきます。平は平字、仄は仄字です。尤は平字のうちで尤という分類に属するものです。起句、承句、結句が韻を踏んでいます。
次に二六同です。各句の二字目と六字目が平仄があっていれば良いのです。起句、承句、転句はあっていますが、結句は二字目が平字、六句目が仄字であっていません。こんなことも時々はあります。ネイティブではありませんし、時代も違うのであまりこだわらなくても良いでしょう。
次に二四不同です。各句の二字目と六字目の平仄が違うことが求められます。起句、承句、転句は違っていますが、結句は平字で同じになりますから外れています。
烽火城西百尺樓 平仄 平平 仄仄尤
黄昏独上海風秋 平平 仄仄 仄平尤
更吹羌笛關山月 平平 平仄 平平仄
無那金閨萬里愁 平平 平平 仄仄尤
最後に転法、粘法を調べます。二字目を横に見ていくと仄平平平となり、転法、粘法、粘法でこれもルールから外れています。四字目を見ていくと、平仄仄平で、転法、粘法、転法で揃っています。六字目も問題ないでしょう。
以上、結句の二字目の那が問題のようですが、一応七言絶句とされています。
王昌齢の従軍行其の二
其の二は一般には其の四とされているものです。とても勇壮な決意にあふれた詩になります。
王昌齢の従軍行其の二の本文と読み方
本文と読み方は次のようです。
青海長雲暗雪山 青海(せいかい)の長雲(ちょううん) 雪山(せつざん)暗(くらし)、
孤城遙望玉門關 孤城(こじょう)遥に望む 玉門関(ぎょくもんかん)
黄沙百戰穿金甲 黄沙(こうさ)百戦 金甲(きんこう)を穿うがつも
不破樓蘭終不還 楼蘭(ろうらん)を破らずんば 終に還らじ
王昌齢の従軍行其の二の解説
青海湖に長雲が多いかぶり遥かに見える雪山は暗く見える、
ポツンとした孤城から玉門関がはるか先に見える。実際は遠すぎて見えないと思いますが。
黄沙の上で百戦も戦い続けて、敵の鎧を突き抜けてきたが、
楼蘭を破るまでは帰らないぞ。
こんな意味になるでしょう。戦意が高揚するような詩ですよね。実際に青海湖から楼蘭まではまだ数百キロ以上の距離がありますので大変なことなのです。
この詩形も七言絶句となります。平仄を全部書き出したりしませんが、起句、承句、結句の末尾の山、関、還が刪という分類の韻を踏んでいるのです。
青海長雲暗雪山
孤城遙望玉門關
黄沙百戰穿金甲
不破樓蘭終不還
王昌齢の従軍行其の三(出塞二首その一)
この詩は王昌齢の出塞二首その一として知られています。唐代七言絶句の最高傑作として言われている詩です。
王昌齢の従軍行其の三(出塞二首その一)の本文と読み方
秦時明月漢時關 秦時の明月 漢時の関
萬里長征人未還 万里 長征して 人未だ還ず
但使龍城飛將在 但だ竜城(りゅうじょう)の飛将(ひしょう)をして在らしめば
不教胡馬度陰山 胡馬(こば)をして陰山(いんざん)を度らしめず
王昌齢の従軍行其の三(出塞二首その一)の解説
秦の時代からの名月が漢の時代からの関所を照らしている。遠い時代から戦いが繰り返されていることを詠っています。
万里を長征して人は還ってこなし。遥か中国の真ん中から万里を渡ってきて戦い多くの人が帰ってこない戦いの虚しさが出ていますね。
ただ、漢の時代、数百年も前ですが、匈奴を打ち破った李広将軍がいたならば、李広将軍は飛将軍として知られています。
匈奴の馬が陰山山脈を越えることはできなかったのに。このように過去の名将を渇望して結んでいます。
詩の形式はこれも七言絶句です。其の二と同じように、起句、承句、結句が関、還、山で同じ韻で構成されています。
作者の王昌齢は698年生まれ755年に没した人です。727年の進士に及第しましたが、あまり素行は良くなかったようです。七言絶句の名手とされています。
王昌齢の「従軍行」及び「出塞」のまとめ
王昌齢の辺塞詩と言われているジャンルを解説してきました。辺塞詩と言ってもいろいろな詩があることに気づかれたと思います。
其の二のように戦意を高揚させるもの、第一のように辺境での辛さと家族への思いを述べたもの、第三のように故事を踏まえて詠んだものなどです。こんな風に丹念に読んでいけば興味も広がることでしょう。