韓愈の代表作「左遷至藍関示姪孫湘」を解説します

中国の漢詩

韓愈は中唐において白居易と並ぶ大家です。その彼の代表作と言われている「左遷至藍関示姪孫湘」を解説します。タイトルを見てもシリアスな詩ですが、その中に彼の思いが十分に込められた詩です。

詩は花鳥風月や自然の描写を描くこともありますが、元来は主義主張を述べるものでもあります。そんな一面が余すところなく出ている名詩です。

韓愈の「左遷至藍関示姪孫湘」の本文と読み

左遷至藍關示姪孫湘 左遷(させん)せられて藍関(らんかん)に至り姪孫(てつそん)湘(しょう)に示す

一封朝奏九重天 一封(いっぽう) 朝(あした)に奏す 九重(きゅうちょう)の天、

夕貶潮州路八千 夕(ゆうべ)に潮州(ちょうしゅう)に貶(へん)せらる 路八千。

欲爲聖明除弊事 聖明(せいめい)の為に弊事(へいじ)を除かんと欲す、

肯將衰朽惜殘年 肯て衰朽(すいきゅう)をもって 残年(ざんねん)を惜しまんや。

雲橫秦嶺家何在 雲は秦嶺(しんれい)に横たわりて 家何くにか在る、

雪擁藍關馬不前 雪は藍関(らんかん)を擁して 馬前(すす)まず。

知汝遠來應有意 知る 汝が遠く来たる 応に意有るべし、

好收吾骨瘴江邊 好し 吾が骨を収めよ 瘴江(しょうこう)の辺。

韓愈の「左遷至藍関示姪孫湘」の意味と解説

まずはタイトルです。

左遷至藍關示姪孫湘

左遷せられて、その途中の藍閑にいたり、韓愈の兄弟の孫にあたり見送りに来た韓湘に示す。

一封朝奏九重天

朝に宮殿で一つの奉書を奉ったところ。九重天は宮殿を示しています。この時韓愈は仏舎利を宮中に持ち込むことに反対していて、そのことを憲宗に奉じたのです。

夕貶潮州路八千

夕べには潮州に貶(へん)せられる、これは地位を貶めさせることを言っています。路八千は八千里の彼方へですね。

その日の内に左遷されたというのは極端な言い回しですし、八千里も4000kmぐらいですから、現在の広東省潮州市までは3000kmと言われていますので、これも誇張表現ですが、憲宗の怒りをかったことは確かでしょう。

欲爲聖明除弊事

聖明は天子のことですから憲宗のために、害のあること、すなわち仏舎利を宮中に持ち込むことを除こうとしたのだ。

肯將衰朽惜殘年

衰朽は衰えた体ですから、衰えた体でもって、あえて今後の将来を惜しんでいるわけではない。要は自分のためにしているわけではないのだという主張です。

この4句目と3句目を一まとめにして、頷聯(がんれん)と称しています。通常律詩ではここで対句をなすことが求められています。

欲と肯、為と将、聖明と衰朽、除と惜、弊事と残年が対となっています。対句は内容というよりは文法上の構成が対になっていることが大切なのです。

雲橫秦嶺家何在

雲は秦嶺山脈に横たわっていて、長安の方面を塞いでいるので、家がどこにあるか分からない。

雪擁藍關馬不前

雪は藍關を包み込むように積もっていて、馬は前に進めない。行程の厳しさを示していますね。5句目と6句目を合わせて頚聯と言っていますが、律詩ではここも対句を形成することになっています。

雲と雪、横と擁、嶺家と藍關、家何在と馬不前が対となっていますが、こちらの方はきれいな対句ですのでわかり易いでしょう。

知汝遠來應有意

私は知っているよ。君が遠くからやってきたことは、まさに思うところがあるということを。

好收吾骨瘴江邊

よし、それでは。自分がかの地で亡くなったなら私の骨を瘴江の畔から拾い集めておくれ。瘴江は南方の瘴気があふれる河のことで、特定の河を示しているわけではありません。

今と異なり、南方にはマラリアなどの風土病があり健康を害する人が多かったとのことです。乾燥した大陸育ちの中国人には過酷な環境だったのでしょう。

「左遷至藍関示姪孫湘」の形式と対句について

細かくは解説しませんが、ここまでくればわかるでしょう、七言律詩です。韻は1句、2句、4句、6句、8句が平字の「先」という形式の韻を踏んでいます。

七言律詩はこの1句目のも韻を踏むことになっているので注意が必要です。

対句はご説明したように、3句、4句の頷聯と5句、6句の頸聯に構成されています。

ここで対句について少し考えてみたいと思います。実は1句、2句の内容からすると対句を構成するような内容になっていますよね。

一封朝奏九重天 一封(いっぽう) 朝(あした)に奏す 九重(きゅうちょう)の天、

夕貶潮州路八千 夕(ゆうべ)に潮州(ちょうしゅう)に貶(へん)せらる 路八千。

この1句目を朝奏一封九重天と置き換えれば、夕貶潮州路八千と文法上は対句になるはずです。

ところがこう置き換えると、平仄は平仄仄平 仄平平となってしまいます。このため二四不同は良いのですが、二六対は破られていて平仄が合わないことになります。

2句目のは仄仄平平 仄仄平となっていますので2字目は仄字、仄字、4字目は平字、平字、6字目は平字、仄字でつながりも合わなくなってしまいます。そんなことも原因で対句にしなかったのかなと思ったりしています。

大詩人の韓愈の詩にこんなことを言って失礼かもしれませんが、ふとそんなことを考えたりします。

作者の韓愈について

韓愈は中唐の詩人です。768年の生まれで792年の進士に及第しています。唐宋八大家の一人で、古文復興に努めた人として有名です。没年は824年となります。

韓愈の代表作「左遷至藍関示姪孫湘」のまとめ

韓愈の代表作「左遷至藍関示姪孫湘」を解説してきました。この詩は彼が52歳の819年の作品で、人生の中での最大の挫折を示したものです。

やはりこの時代、皇帝に意見するのは命がけですよね。いくら政府の高官でも、仏教を厚く信じる憲宗にその信条と反対の意見表明ですから、あっという間に飛ばされてしまったのでしょう。当時は衛生状態も良くないし、風土病もあり、命を落とす人も多かったと言われています。

幸い憲宗の死によって1年後には戻されて、復帰したのは幸いでした。

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