李白の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」で漢詩を学ぶ。七言絶句の形式。

中国の漢詩

李白の有名な漢詩を使って、漢詩創作の基礎を習得しましょう。黄鶴楼送孟浩然之広陵を使って、七言絶句の形式を説明します。これは李白が孟浩然を黄鶴楼において見送ったときの詩です。

この形式は一番入りやすい形と言われ、現代ではほとんどの詩がこの形で作られています。

「黄鶴楼送孟浩然之広陵」の李白と孟浩然の関係とその心情は

この詩は李白が友人の孟浩然が広陵(江蘇省揚州市)に行くのを黄鶴楼で見送って詠んだもの。開元16年(728)28歳の作と言われています。

春の季節の友情あふれる別れを著した名作ですね。李白は友人として孟浩然をたたえておりました、一緒に旅行したこともある間柄です。

李白は宮廷詩人として宮廷に出入りしていましたが、孟浩然は李白の推挙もありましたが、ついに官位を得ることがありませんでした。

黄鶴楼 は湖北省武漢市武昌区の黄鶴山に建っていた楼閣です。今は建て替えて立派な六画がそびえています。

その昔この地の老人が酒代の代わりに黄色い鶴の絵を描いたところ、この鶴が踊って店が繁盛した。再び仙人があらわれて、その弦に乗って立ち去ったというという伝説があります。

「黄鶴楼送孟浩然之広陵」の読み方と現代語訳は

漢詩の紹介と読み方を説明します。

黄鶴楼送孟浩然之広陵(黄鶴楼にて孟浩然の広陵にゆくを送る)

故人西辞黄鶴楼(故人西の方 黄鶴楼を辞し)

煙花三月下揚州(煙花三月 揚州に下る)

孤帆遠影碧空尽(孤帆の遠影 碧空につき)

惟見長江天際流(惟だ見る 長江の天際に流るるを)

現代語訳は次の通りになります。

黄鶴楼から孟浩然が広陵にゆくを送る。

古くからの友人(孟浩然)は、西にある黄鶴楼に別れを告げ、

花が咲き春の霞が立つ三月に、揚州へと下っていく。

遠くに見える一艘の舟の帆も、青空に消えていき、

ただ、長江が天の果てまで流れていくのを見るばかりである。

「黄鶴楼送孟浩然之広陵」の形式は

この詩は典型的な七言絶句という形式となっています。一句七言を四句で形成するものです。

それぞれの一句は4言+3言で分かれています。一句目ですと「故人西辞」と「黄鶴楼」

で分けることができます。これが大原則です。

二句目以降もとりあえず区切って味わってみてください。

そしてこの4句の並びですが、起承転結が求められています。最初の1句は状況説明です。それを受けてさらに説明していますよね。

3句目で視点ははるか先に持っていきます。そして結句です。この感じを作るのがいつも難しいのです。単に4句並べただけでは詩にならないといつも注意されております。

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「黄鶴楼送孟浩然之広陵」の平仄と押韻は

そして、最初の方が最も難しく感じる平仄と韻の配列です。でもある程度数をこなすとルールはそれほど難しくないのです。

逆にルールがあるからこそ、何とか詩の形まで持っていけるのです。ただ現代の日本人ですから、漢語の言葉が不足していて探すことは結構大変なのです。

この詩の平仄と韻は次の通りです。○は平字、●は仄字です。尤は最後の音が尤に分類される韻の音であることを示しています。

●○○○ ○●尤,

○○○● ●○尤。

○○●● ●○●,

○●○○ ○●尤。

韻律の原則は①2字目と4字目が違う平仄②2字目と6字目が同じ平仄③2字目、4字目、6字目を横にたどると同じ、違う、同じ、違うというつなぎ方になるはずです。

あてはめてみましょう。

違いますよね。

当てはまらないでしょう。

どこが違うんでしょうか。

答え 第1句の2字目「故人」の「人」が平字になっているのが原因です。ここに仄字をはめれば解決します。

例えば、同じような意味で「故旧」をはめれば旧は仄字ですから原則通りになります。平水韻が完成した元以降であればこのようでなければいけなかったでしょう。

実際のところは感性で決めるでしょうから、詩仙李白の方が良いといわれるでしょう。

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李白の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」で漢詩を学ぶのまとめ

李白の黄鶴楼送孟浩然之広陵を使って七言絶句の形式を学びました。この形式は初心者が最初に詩を作る形式として勧められているので、ぜひマスターしたいものです。

最初はこの詩の単語を入れ替えて、楽しんでみることが大切です。この詩は送別の詩として有名ですので、この場所の単語を入れ替えることでバリエーションを作ることができます。

黄鶴楼○●尤、揚州○尤、長江○○を同じ平仄と韻のある単語で置き換えるのです。「こんな名作を置き換えるなどと恐れ多い。」としかられるかもしれませんが、何事も勉強だと思って考えてみてください。

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