南宋の真山民の山中月を読んでみましょう。

中国の漢詩

南宋の真山民と言われている経歴も良くわからない方の漢詩を読んでみることにします。内容は平易でとても美しい漢詩です。秋の月を眺めながら口ずさめば、清々した感じになりますので、お試しください。

真山民の山中の月はこのような漢詩です

原文は次の通りです。普通の漢詩に比べて一読しただけでも内容はわかってくるでしょう。

山中月

我愛山中月

敞然掛疎林

為憐幽独人

流光散衣襟

我心本如月

月亦如我心

心月両相照

清夜長相尋

山中の月の読みは

あまり解説はいらないかもしれませんが、読みはこんな感じでしょう

我は愛す山中の月

敞然(けいぜん)として疎林に掛かる。

幽独の人を憐れむが為に

流光衣襟に散ず。

我が心本より月の如く

月亦わが心の如し。

心と月二つながら相照らし

清夜長く相尋ぬ。

山中の月の内容は

平易な詩文ですので内容はわかり易いでしょう。

我は愛す山中の月というきっぱりした表現から入っています。李白の詩に我は愛す孟夫子という出だしがありますが、これとよく似ていますね。

敞然(けいぜん)は光輝く様子ですので、月が明るく疎林に掛かっているのがわかります。幽独人は一人でひっそり暮らす人ですね。この人のために、月の光が衣の襟に流れているのが美しいですね。

更に後半は、月を見たときの心情の表現になっていきます。

我が心はもともと月のように明らかだし、月も亦そのようであるとしています。そして自分の心と月が相照らしている情景に持っていき、清らかな夜をお互いに問いかけていると締めくくっています。

平易であってなおかつ清らかな感じのする美しい詩です。平易な表現ですので、秋の夜長に口ずさむのも良いでしょうね。

真山民の山中の月の詩の構造を解説

この詩はどのような形式なのでしょうか。一句五言で8行ありますから、普通は五言律詩ということになるのですが、そうではありません。なんでも五言あって8行あれば良いものではないのです。

その理由はだんだんわかってきます。まずは、脚韻を調べます。2行目、4行目、6行目、8行目の韻を考える必要があります。これらは林、襟、心、尋で侵という韻が踏まれています。ここまでは大丈夫ですね。

その次に二四不同を確認していきます。各句の中の二字目と四字目がどのようになっているかを確認するのです。一句目は仄音、平音。二句目は平音、仄音、これが反法でつながります。

三句目は平音、仄音、粘法でつながります。四句目は平音、平音、変ですね。ここで破綻しています。ということで、律詩の規則からは少しはみ出しているのです。

更に律詩には対句の規則があります。三句目、四句目を見てみると。為憐幽独人、流光散衣襟。ですから、幽独の人を憐れむため当文法構造と、流光、衣の襟に散ずでは構造が違うから対句になりません。

また、五句目は我心本如月と主語が最初の2語を示していますが、六句目は月亦如我心と主語が一語、副詞が一語という構成です。このため、律詩の重要な要素である対句が形成されていないのです。

  • ●○○●,
  • ○●●○。(韻)
  • ○○●○,

○○●○○。(韻)

  • ○●○●,
  • ●○●○。(韻)

○●●○●,

○●●○○。(韻)

その他に、この詩では「月」、「心」が多用されています。ここらは、ネイティブではないため、あまり強くは言えませんが、好ましくないとされています。

このため、この詩の構成は五言古詩と言われる形になります。このように五言古詩という形式になれば自由に作詩できるから簡単だといわれますが、それだけ中身が重要になってくるので一般には難しいといわれています。

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作者の真山民とはどんな人でしょう

この人は宋代の人と言われており、没年は1274年と言われています。宋の進士だったとも言われていますがその後世間から隠れて新たな朝廷に仕えない遺民となって世に知られることを望まず、ひとからも隠れてしまったとも言われています。

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南宋の真山民の山中月を読んでみましょうのまとめ

宋の遺民と言われている真山民の山中月の解説をしました、とても美しく秋の夜長にふさわしい詩です。形式は五言古詩で自由な作風のなかで、趣のある作品となっています。

今回は律詩の形式についての解説も中に入れながら解説しました。

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