杜牧の名作『江南の春』 – 現代語訳と詳細な解説

中国の漢詩

晩唐の詩人杜牧の代表作である「江南の春(江南春)」を使って漢詩の平仄について考えてみましょう。

この詩は揚子江下流地域ののどかな春の情景をあらわした名作です。読み方も平易ですし、中身もわかり易いでしょう。暗唱するのにも最適な詩ですね。

杜牧の名作「江南の春」の背景

江南の春は、その美しさと詩的な表現で多くの人々を魅了してきました。
杜牧の筆によって、この詩は時代を超えて愛され続けています。
その理由は、詩の中に描かれる情景が、読者の心に深く響くからではないでしょうか。

「江南の春」の原文と現代語訳

漢詩の魅力は、言葉の選び方や響きだけでなく、その背景や作者の思いも深く関わっています。
「江南の春」を読むことで、杜牧の感性や当時の中国の風景を感じることができます。
この詩を通じて、歴史や文化の深さを感じることができるのも、漢詩の魅力の一つです。

江南の春の原文は

江南春

千 里 鶯 啼 緑 映 紅

水 村 山 郭 酒 旗 風

南 朝 四 百 八 十 寺

多 少 楼 台 煙 雨 中

江南の春の読み方と現代語訳は

千里(千里にわたって)鶯啼いて、緑紅に映ず(草木の緑と花の紅が映えている)

水村(水辺の村) 山 郭 (山間の村)、酒 旗 (酒屋の旗印)の風(風にはためいている)。

南朝 (南北朝時代に栄えた)四 百 八 十 寺

多少の (多くの意味です)楼 台(高い建物)、 煙 雨(靄で霞む雨)の 中

のんびりした江南地方の春の風景を見事にとらえた詩ですね。前半の二句は緑と紅が視覚的にも美しく、遠くに目をやれば酒屋の旗がはためいている様子がわかります。

これだけでも絵を描くことができますよね。

後半の二句は春霞の中に浮かぶお寺の建物です。これも墨絵にすれば良い材料ではないでしょうか。

南北朝時代は北魏が華北を統一した439年から隋が中国を再び統一する589年までをしめします。南朝では、宋、斉、梁、陳の4つの王朝が立っています。

文学や仏教が隆盛をきわめ、陶淵明や王羲之などが活躍しています。

江南の春の詩の形式と特徴

典型的な七言絶句です。特段対句表現用いていませんが、前半と後半ではっきり情景が分かれています。このような構成もあるということです。

平仄とは?「江南の春」の平仄解説

この詩の平仄を表わすと次のようになります。○は平字、●は仄字、東は平字の東という分類です。

千 里 鶯 啼 緑 映 紅  ○●○○ ●●東

水 村 山 郭 酒 旗 風  ●○○● ●○東

南 朝 四 百 八 十 寺  ○○●● ●●●

多 少 楼 台 煙 雨 中  ○●○○ ○●東

この詩を見ていきましょう。七言絶句の平仄の原則は次の通りですよね。

1.一句、二句、四句の末字が韻を踏んでいます。これはおわかりですね。

2.それぞれの句の中で2字目と6字目が同じ平仄。2字目と4字目が違う平仄。

・・・・・・・・

どうも違いますね。

・・・・・・・・

どこが違うかわかりますか。

・・・・・・・・

そうです。三句目の6字目の「十」の字が仄字なのが原因です。これが平字であれば問題ないのです。

3.二字目を一句から見てみると二句目は反対になっています。これを反法と言います。二句目と三句目は同じ平仄ですよね。これを捻法と言います。

このように反法、捻法、反法となるのが原則です。四字目も良いですよね。

ところが六字目はこの法則を破っています。これも「十」の字が平字だったら良かったのです。

この作品が有名なだけに後世様々な人が解釈を加えて苦労しています。ただ杜牧自体も「十」を平字で読んだ詩もあるため、平字と考えておきましょう。

いずれにしろ、後世のように詩形の原則があって詩を作るわけではなさそうですので、彼らの感性に任せるしかないと思います。現代ではダメだしされますが。

それでは現代にダメだしされないように三句目を考えてください。恐れ多いかもしれませんが、ここは勉強です。

南 朝 四 百 八 十 寺  ○○●● ●●●

同じような構成で考えるとします。難しいのは、一から十、百、千で平字は三と千しかないことです。どうしても六字目を平字にしたいとすれば、一千寺ぐらいしかないでしょう。数が適当かどうかはわかりませんが。そうすると●○●となります。

ここまでで南朝●●一千寺となります。この●●にあてはまる言葉を探します。

こんな様に平仄に合う言葉を探していくのです。

試しにやってみてください。

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杜牧 – 「江南の春」の作者の生涯

803年に長安の名門階級に生まれます。

828年に25歳で進士に及第し官吏となります。

833年に揚州の淮南節度使の幕下に入る。その後中央に出たり地方に行ったりをくりかえします。

848年に勲功部の副長官。

849年に吏部の副長官。

850年に湖州刺史。門下省、中書省の舎人。

853年に亡くなる。

ということで、役人生活はほかの詩人のように左遷されてそこで一生を終わることもなく、波乱はあったもののそこそこではなかったでしょうか。

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江南の春を通じた漢詩の鑑賞と解説のまとめ

晩唐の杜牧の江南の春を使った漢詩の解説と平仄の整え方を書いてみました。

せっかくの名詩を台無しにするようで心が痛みますが、こんな様な手順で平仄を整えていく様子が伝われば幸いです。

この南朝●●一千寺の●●に仄字が当てはまる用語をあてはめていけばよいのです。この●●のうち前の●は平字でも仄字でも構いません。

ここに南朝が残したというような趣旨が伝わればよいのではないかと思います。楽しんでいただけたら幸いです。

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