屈原の漁父辞をよんで漢詩の原点を考える

中国の漢詩

屈原の漁父辞を紹介します。屈原というのは紀元前300年ぐらいの楚の貴族です。この人は高貴な出ですがいろいろな悩みを抱えて詩に託しています。そんな中で自分の主張を述べる詩の形が出てきたと考えます。

屈原の漁夫辞の構成は

とても長い詩ですので、最初に構成を説明しておきます。この詩は屈原とそこに居合わせた漁父のそれぞれの主張を述べ合う形になっています。次のような5部に分けて説明します。

1.屈原が放浪している状況

2.漁父の問いに対する屈原の主張1

3.それに対する漁父の考え1

4.屈原の主張2

5.漁夫の考え2

漁父辞(屈原の状況)の本文、読みと解説

屈原既放     屈原既に放たれて

游於江潭     江潭(こうたん)に游び

行吟沢畔     行(ゆくゆく)沢畔(たくはん)に吟ず

顔色憔悴     顔色(がんしょく)憔悴(しょうすい)し

形容枯槁     形容(けいよう)枯槁(ここう)せり

漁父見而問之曰  漁父(ぎょほ)見て之(これ)に問うて曰(いわ)く

子非三閭大夫与  子(し)三閭大夫(さんりょ たいふ)に非(あら)ずや

何故至於斯    何の故(ゆえ)に斯(ここ)に至れると

漁父辞(屈原の状況)の解説

屈原はもはや国を追われて

江は大河で潭は渕ですから川のふちをぶらぶら歩いています

沢は湿地帯ですので湿地帯のほとりを歩きながら詩を吟じています

顔色はやつれ果て

形容は姿かたちで、枯槁はどちらも枯れることですので、枯れ木のようにやせ細っていました

漁師が屈原を見てこう聞いた

あなたは楚の王族を統括する三閭大夫ではありませんか

なぜこんなところにいるのですか

詩の導入部分です。屈原が京ではなくこんなところにいることを漁夫がいぶかしんで尋ねるところの場面設定ができましたね。比較的簡単ですのでわかりやすかったでしょう。いよいよ両者の問答が始まります。

漁父辞(屈原の主張1)の本文、読みと解説

屈原曰     屈原曰く

挙世皆濁我独清 世を挙げて皆濁れるに我独(ひと)り清(す)めり

衆人皆酔我独醒 衆人皆酔えるに我独り醒めたり

是以見放    是(ここ)を以(もっ)て放(はな)たると

漁父辞(屈原の主張1)の解説

屈原はここたえていいました

世の中の者はみな汚れていて、私だけが澄んでいるのだ

みな酩酊してでたらめにやっているが、私だけは覚めている

だから私は追われたのだ

内容は分かりますよね。まじめすぎる屈原は世間から浮いていたと考えれば、想像がつくでしょう。

漁夫辞(漁夫の考え1)の本文、読みと解説

漁父曰         漁父曰く

聖人不凝滞於物     聖人は物に凝滞(ぎょうたい)せずして

而能与世推移      能(よ)く世と推移す

世人皆濁        世人皆濁らば

何不淈其泥       何(なん)ぞ其の泥を淈(にご)して

而揚其波        其の波を揚(あ)げざる

衆人皆酔        衆人皆酔わば

何不餔其糟       何ぞ其の糟(かす)を餔(くら)いて

而歠其釃        其の釃(しる)を歠(すす)らざる

何故深思高挙      何の故(ゆえ)に深く思い高く挙がり

自令放為        自(みずか)ら放たれしむるを為(な)すやと

漁夫辞(漁夫の考え1)の解説

老漁師は言います

聖人というものは物にこだわることはありません

世の移り変わりとともに自らも変わっていくのです

人がみな汚れているなら

どうしてあなたも泥水をかき立てて

汚れた波を立てようとしないのです?

みなが酔っ払っているなら

どうしてあなたは酒かすを食べ、

その汁をすすって飲もうとしないのですか?

なぜひどく思いつめて、自分のみ高潔な行動をとって

自分の方から追われてしまうようなことをするのですか

漁父は何も高潔に一人浮いて暮らすことはない、世の中が乱れているならそれに合わせて行けばよいと答えているのです。いわば屈原は儒教的な考え方、漁父は道教的な考え方と言えるのでしょう。

漁父辞(屈原の主張2)の本文、読みと解説

屈原曰吾聞之     屈原曰く吾(われ)之(これ)を聞けり

新沐者必弾冠     新(あら)たに沐(もく)する者は必ず冠(かんむり)を弾(はじ)き

新浴者必振衣     新たに浴する者は必ず衣(ころも)を振うと

安能以身之察察    安(いず)くんぞ能く身の察察(さつさつ)たるを以(もっ)て

受物之汶汶者乎    物の汶汶(もんもん)たる者を受けんや

寧赴湘流       寧(むし)ろ湘流(しょうりゅう)に赴(おもむ)きて

葬於江魚之腹中    江魚(こうぎょ)の腹中(ふくちゅう)に葬(ほうむ)らるとも

安能以皓皓之白    安くんぞ能く皓皓(こうこう)の白きを以て

而蒙世俗之塵埃乎   而(しか)も世俗の塵埃(じんあい)を蒙(こうむ)らんやと

漁父辞(屈原の主張2)の解説

私はこんな話を聞いたことがある

髪を洗ったばかりのときは、必ず冠の埃を払い

体を洗ったばかりのときは、必ず衣服の汚れを振るうと

どうしてさっぱりとけがれのない体を

不潔きわまりないものでよごすのか?

そんなことをするならいっそ湘江にとびこんで

川の魚の餌になったほうがましだ

どうして輝くばかりの白さを

世俗の塵埃でよごす必要があるのか

屈原があくまでも頑なな主張を繰り返していますよね。

漁夫辞(漁夫の考え2)の本文、読みと解説

漁父莞爾而笑   漁父莞爾(かんじ)として笑い

鼓枻而去     枻(えい)を鼓(こ)して去る

乃歌曰      乃(すなわ)ち歌いて曰く

滄浪之水清兮   滄浪(そうろう)の水清(す)まば

可以濯吾纓    以て吾が纓(えい)を濯うべし

滄浪之水濁兮   滄浪の水濁らば

可以濯吾足    以て吾が足を濯うべしと

遂去       遂に去りて

不復与言     復(ま)た与(とも)に言わず

漁夫辞(漁夫の考え2)の解説

老漁夫は屈原の言葉を聞くと莞爾はにっこりと笑うことです

船の櫂で船端を叩きながら去っていきました

それでも歌いながら言っていました

滄浪川の水が清らかなら

我が冠のひもを洗うことができよう

滄浪川の水が濁っているなら

我が足を洗うことができよう

ついに去っていき

漁師が屈原とまた語り合うことはなかった

こういう内容です。あくまでも超然と高みに居たい屈原と世の中に合わせて処世を送るべきと考える漁父はついにお互いに理解し合うことができなかったのです。この処世の方法についてどちらを良しとするわけではありませんが、それを考えることが重要なのです。

まだ詩の形式が固まる以前の作品ですので、形式よりもその内容、特にその主張を味わっていただけたらと考えています。

屈原の漁父辞をよんでのまとめと屈原の紹介

屈原の漁父辞を紹介しましたが、結構長い詩でしたが、主張はおお互い明快ですのでわかりやすかったと思います。

屈原は紀元前343~前277の楚の貴族です。当時は戦国時代で後に統一を果たす秦が台頭してくる時期です。そのため外交政策を巡って対立が起こり、強硬路線を主張する屈原は追放されることになるのです。

そしてその湿原地帯を放浪した後、失意のうちに身を投げてなくなったと言われています。この漁父辞の通りになったのですね。

その日は旧暦の5月5日にあたるとされています。屈原の作品は楚辞に多く掲載されています。

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